「断らない」がん・血液内科の名医
 【明星 智洋先生/江戸川病院】
					 
						江戸川区・小岩。静かな住宅街の一角に、地域医療の中核として親しまれている「江戸川病院」があります。その中心に立つのが、腫瘍内科・血液内科を率いる明星先生。「断らない・諦めない医療」「笑顔で前向きながん治療」を掲げ、どんな状況の患者にも寄り添う姿勢に、多くの人が信頼を寄せています。今回は、医師を志した原点から、江戸川での挑戦、そしてこれからの医療への想いまで伺いました。
「不器用なラガーマン」がメスを捨て、白血病に挑むまで

――先生が医師を志されたきっかけを教えてください。
もともと医師になるつもりはまったくありませんでした。両親も医師ではなく、高校時代は毎日ラグビー部の活動に明け暮れていました。僕は器用ではないのでボールを持ってがむしゃらに走るスポーツ、ラグビーとは相性が良かったのです。
そんな僕の人生を変えたのは、高校2年のときに膵臓がんで亡くなった祖母です。元気だった祖母が、みるみる衰えていく姿を見て、「病気が人の時間を奪う」現実を目の当たりにしました。「健康は当たり前じゃない」と痛感した瞬間でした。そのとき、「祖母の命を奪った憎きがんをやっつけたい」と強く思い、医師を志すようになりました。
――外科ではなく、血液内科を選んだのはどうしてですか。
当時は「がん=外科医が切って治すもの」という時代でした。ラグビー部の先輩は多くが外科に進んでいたのですが、学生時代の臨床実習で手術室に入ったとき先輩方から手の洗い方からめちゃくちゃ怒られたんです。「外科医は自分に向いていない」と感じました。
その後、内科系の糖尿病や腎臓病などの一般内科を学んでいくうちに、血液内科の先生に出会ったんです。それが僕の運命の転機でした。白血病や悪性リンパ腫の患者さんを診ながら、その先生は語ったのです。「他のがんは診断は病理医、手術は外科、抗がん剤治療は内科と分担しているが、血液内科は、診断も、抗がん剤治療も、骨髄移植も全て自分でやれる唯一の診療科だ」と。血液内科は、目の前の患者さんを最後まで責任をもって診療できる。「これは自分の生き方に合っている!」と直感しました。「不器用でも地道に積み重ねることで患者さんを救える」白血病の治療には、そんな「医師の総力戦」のような魅力があります。
あと3ヶ月宣告の患者がプールへ! 「1%の可能性」を一緒に育てる医師の信条

――東京での修行時代について教えてください。
医師になって4年目、広島の呉共済病院から虎の門病院に移りました。そこでは、朝から晩まで移植と感染症管理の毎日でした。寝る時間はほとんどなく、1年目は本当にきつかったですが、白血病の患者さんが寛解して退院していく姿を見たときは嬉しかったですね。
その後、がん研究会有明病院に移り、ここで血液がんに加え、乳がん・肺がん・胃がんなど固形がんの薬物療法を学びました。当時、腫瘍内科が日本に根付き始めた頃で、僕は史上最年少で日本臨床腫瘍学会認定「がん薬物療法専門医」を取得しました。がん研では全国から重症の患者さんが集まっていたので、医師としての基礎を徹底的に鍛えられました。
――その後、江戸川病院に移られています。
がん研で経験を積んだ後、「自分が理想とする医療を、今度は自分の手で形にしたい」と考え始めました。そんな時に声をかけてくださったのが、江戸川病院です。「腫瘍内科と血液内科を新設することになり、まだ何もない状態からのスタートでした。設備もスタッフも足りず、最初の頃は化学療法室も手作り同然で、看護師さんたちと夜遅くまで準備していました。立ち上げ当初は数人だった患者さんが少しずつ増え、今では全国から患者さんが来てくださるようになりました。
「断らない医療」という言葉は、その過程で自然と生まれました。たとえ満床でも、どこかで一時的に預かってもらい、数日後には必ず受け入れるようにしています。「ここに来れば、なんとかしてくれる」と思ってもらえる場所でありたい。それが僕たち江戸川病院の誇りです。
――診療の中で大切にしていることは何でしょうか。
がんという言葉を聞くだけで、心が折れてしまう方も多いので、患者さんの前では必ず笑顔で話すようにしています。医師が笑顔で「大丈夫ですよ」と声をかけるだけで、患者さんの表情も少し明るくなります。「笑顔で前向きながん治療」が僕の大切な信条です。治る可能性が1%でもあるなら、そこを一緒に目指します。診察室では必ず立ち上がってお迎えし、患者さんの前でスマホを触ることもありません。医師が迷う姿を見せると、それだけで患者さんは不安になります。夜に調べ、朝までに準備しておく。その積み重ねが、信頼につながると思っています。
――印象に残っている患者さんはいらっしゃいますか?
ステージⅣで「あと3か月」と宣告された方が、何年も元気に過ごしているケースは珍しくありません。また、ある方は腹水と胸水で食事も取れなかったのに、2か月で腫瘍マーカーが20分の1に下がり、今では毎日プールで泳いでいます。
医療には限界がありますが、その限界に線を引くのは医師の都合です。患者さんの中に眠っている「まだできること」を一緒に探す「奇跡」。それは、医師が起こすものではなく、患者さんと一緒に育てていくものだと思っています。
江戸川区から全国へ。「経済格差なく最新治療を」医師 の信念

――地域医療への思いを教えてください。
江戸川区は人口70万人の町ですが、大学病院は一つもありません。だからこそ、ここが「最後の砦」になる必要があります。僕たちが「無理です」と言ったら、その方の行き場がなくなってしまうでしょう。どんな年齢でも、どんな状態でも、本人が「治療したい」と言えば、僕は全力で支えます。ガイドラインではなく、人としての選択を大切にしています。
――今後の目標は?
今、神戸や名古屋のクリニックでも診療し、遠方の患者さんにも治療を届けられるようにしています。また、「一般社団法人日本臨床プレシジョンメディシン研究会」を設立し、がんゲノム医療や分子標的治療の研究も進めています。どんな地域でも、経済的な格差があっても、誰もが最新の治療を受けられる社会をつくりたいと思い信念を持って活動しています。
____最後に、この記事をお読みの患者さまへメッセージをお願いします。
がんという病気は、人生を一変させてしまうほど大きな出来事です。不安を抱える患者さんが「ここに来れば何とかなる」と思える場所でありたいと考えています。がん治療は、つらいだけの時間ではありません。笑ったり、泣いたり、日常を取り戻すための時間でもあります。どうか一人で抱え込まず、まずは相談に来てください。ここから、一緒に歩いていきましょう。
 
							
							2001年に熊本大学医学部卒業後、岡山大学医学部附属病院、呉共済病院、虎の門病院、がん研究会有明病院を経て、2009年、江戸川病院 腫瘍血液内科を立ち上げ現在に至る。
 
						
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03-3673-1221
江戸川病院
公式ホームページ:https://www.edogawa.or.jp/
取材日:2025年10月16日						

