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INTERVIEW
名医インタビュー
2025.08.08
産婦人科
神奈川

大海に挑むハイブリッド不妊治療の名医
【菊地盤先生/メディカルパークみなとみらい】

まさてる散歩〜あなたの街の頼れるクリニック訪問〜

JR桜木町駅より徒歩4分、日石横浜ビルの4Fにある「メディカルパークみなとみらい」。院長の菊地盤先生は、かつて順天堂大学の婦人科腹腔鏡グループのメンバーの一員でした。さらには順天堂大学附属浦安病院のリプロダクションセンター長、浦安市と連携した卵子凍結プロジェクトの責任者の経験もある、不妊治療のキーマンです。今回は菊地先生に、波乱万丈に富んだ先生の人生や、不妊治療における日本の課題、不妊治療に取り組む患者さんへの思いについてお話を伺いました。

教授の椅子ではなく、患者のそばを選んだ「一度きりの人生」の決断

____産婦人科医を目指された理由について教えてください。

もともと僕は産婦人科を希望していたわけではありませんでした。順天堂大学卒業後は帝京市原病院のリハビリテーション科に入局しました。しかし体調を崩して1年半ほどで退局し、恩師の働きかけもあり、順天堂大学の産婦人科へと移ったのです。

卒業後すぐに産婦人科へ入局した同級生たちは、僕より一歩先へと進んだ技術がありました。落ちこぼれからの再出発。逃げ道のように飛び込んだ臨床現場で、気づけば僕は “本当の力”を身につけることができました。あの時間こそが、今の僕を支える最大の財産です。

____順天堂大学では婦人科腹腔鏡グループの一員として、非常に多くの不妊治療に携わったそうですね。

2000年、腹腔鏡チームを立ち上げた先生のもとで、腹腔鏡下手術や不妊治療、さらには医療マネジメントについて学ぶ機会を得ました。臨床と経営の両面から多くを教えていただき、僕にとって大きな転機となりました。

しかし、その腹腔鏡の恩師と、僕を大学に呼び戻してくれたもう一人の恩師は、いずれもまだこれからという年齢で、相次いで亡くなられてしまったのです。医師という職業は、一般の方から見ると高収入で華やかな印象があるかもしれません。けれど実際には、想像をはるかに超える過酷な労働環境にあり、健康を損なって命を落とす医師も少なくありません。

恩師を続けて亡くした経験は、医師として自分がどう生きるべきか、改めて深く考えるきっかけになりました。

____先生の研究は国内外から高く評価され、論文も多数発表されています。研究者として、あるいは大学に残ってキャリアを築くという道も選べたのではないでしょうか?

それも確かに一つの選択肢でしたし、実際にいくつかお話もいただいていました。ただ、ふと立ち止まって考えたんです。「一度きりの人生で、自分は本当に何をしたいのか」と。

そのとき、心の底から出てきた答えが、「現場に立つドクターとして、患者さん一人ひとりの人生に真正面から向き合い続けたい」というものでした。

そうして僕は大学を離れる決断をし、現在のメディカルパークみなとみらい(旧称 メディカルパーク横浜)に移ったのです。ありがたいことに順天堂大学からは客員准教授の称号をいただき、今でも大学で培った技術や知見を、目の前の患者さんに直接届けられる環境に身を置いています。

無力さの先に、こぼれるような笑顔がある 不妊治療の現場で感じる「一番の喜び」

____「ハイブリッド治療」とはどういったものでしょうか。

生殖補助医療と婦人科内視鏡手術を融合させた不妊治療です。例えば、採卵と胚凍結を先行して行い、腹腔鏡下手術をはじめとする内視鏡手術で不妊原因を治療し、経過を見ながら胚移植を行うといった一連の治療をさします。グループ間連携により、一人ひとりの患者さんの状況に合わせたオーダーメイド治療を実現しているのが当院の特徴です。

____浦安市と連携して取り組まれた「凍結卵子プロジェクト」はどのようなものでしょうか?

これは、浦安市に在住する34歳以下の女性を対象に実施された、未受精卵子凍結に対する補助事業です。事業の背景には、「不妊に関する意識調査」の結果があります。その調査から、妊娠や出産に関する正しい知識が、まだ広く社会に浸透していないという実態が明らかになりました。

たとえば、加齢によって妊娠しづらくなること自体は広く知られていますが、その影響の大きさは、多くの方が想像している以上に深刻です。メディアでは40代で妊娠・出産した芸能人のニュースが取り上げられることがありますが、それはごくまれなケースにすぎません。「40代でも自然に妊娠できる」といった誤解が、現実の厳しさを覆い隠してしまっています。日本では、性教育や妊娠・出産に関する知識がオープンに語られにくい風土があり、それもまた情報の正しい普及を妨げている一因となっています。

____2022年から不妊治療が保険適用になりましたが、影響はありましたか?

保険診療内で不妊治療を受けるには「男女での受診」が必須です。結果として男性の受診率が上がり、男性が不妊を自分事として受け止めるようになってきました。不妊の半分は男性側に原因があり、男性へのアプローチが長年の課題でした。保険診療が導入されてからは世の中の意識が大きく変わり、いい方向に動いていると実感しています。

____診療を通じて、先生がやりがいを感じる瞬間はありますか?

不妊治療は、原因が複雑に絡み合っているため、思い通りの結果が出ることはそう多くありません。正直なところ、「やりがい」を感じるというよりも、無力さを痛感する場面の方が圧倒的に多いです。それでも、ご夫婦に良い結果が訪れ、心からの笑顔を見せてくださる瞬間があります。その表情に立ち会えたとき、ふと光が差すような温かい気持ちになれる、その瞬間こそが、僕にとってこの仕事をしていて一番嬉しい時間です。

 

患者さん自身が進むべき道を描く時、医師は「追い風」となる

____横浜で診療をされていて、街や人の印象に変化はありましたか?

僕は高知の出身で、結婚後は長く浦安市に住んでいたので、実は横浜にはいまだに少しアウェイ感があります。でも最近になって、ようやく横浜という街の空気やテンポが肌でわかるようになってきました。特に印象的なのは、皆さんが「神奈川県民である前に、まず横浜市民である」という強いアイデンティティを持っていること。まるで横浜市だけで一つの都市国家のような、自立したエネルギーを感じますね。そんな力強い街・横浜に、僕も不妊治療という分野から少しでも貢献できたらと考えています。

____患者さんと向き合う際に心がけていることは何ですか?

不妊治療には、どれだけ努力しても100%報われるとは限らない現実があります。僕たち医師は、少しでも良い結果につながるよう全力で治療やアドバイスを行いますが、最終的に「どう進むか」「どこをゴールとするか」を決めるのは、ご夫婦自身です。不妊治療の主役は、医師でも治療でもありません。あくまで患者さんご自身です。だからこそサポート役に徹し、決して治療を強制することのないように努めています。

____最後に、不妊治療中または不妊治療をご検討されている患者さんへメッセージをお願いします。

アメリカの詩人、エラ・ウィーラー・ウィルコックスはこう綴っています。

「進路を決めるのは風ではない、帆の向きである」

医師として、僕はこれまで恩師や仲間の追い風に背中を押されることもあれば、突然の逆風に押し戻されることもありました。でも、進む方向を決めるのは風の強さではありません。それを受け止める「自分という帆」なのです。

不妊治療もまた、思い通りに進まないことがあります。努力が結果につながらず、立ち尽くすような日もあるでしょう。それでも、どうか風任せにならず、ご夫婦で寄り添いながら「どこを目指すのか」というゴールを一緒に選び取ってほしいのです。僕は医師として、そして第3のパートナーとして、どんな風の中でもお二人が前に進めるよう、追い風となれる存在でありたいと願っています。

<プロフィール>
メディカルパークみなとみらい/
院長 菊地 盤(きくち いわほ)

1994年に順天堂大学を卒業。順天堂大学医学部附属浦安病院を経て、順天堂大学医学部附属順天堂医院に入局し、婦人科腹腔鏡グループのメンバーとして多数の症例を手がける。さらに順天堂東京江東高齢者医療センター、順天堂大学医学部附属浦安病院へと移動し、浦安病院ではリプロダクションセンター長を務める。浦安市と連携した「卵子凍結プロジェクト」の責任者として指揮を執る。現在は「メディカルパークみなとみらい」の院長としてグループ独自のハイブリッド治療を提供する傍ら、順天堂大学医学部産婦人科学教室の客員准教授を兼任。

<専門分野>

産婦人科

<資格>

産婦人科専門医 婦人科内視鏡学会技術認定医 生殖医学会生殖指導医 日本産科婦人科内視鏡学会幹事 ガイドライン委員会委員 がん生殖医学会理事 不妊カウンセリング学会理事

<所属学会>

日本産科婦人科学会 日本生殖医学会 日本癌治療学会 日本内視鏡外科学会 日本がん生殖医療学会 日本生殖カウンセリング学会 米国婦人科内視鏡学会


問い合わせ
045-232-4741

メディカルパークみなとみらい
公式ホームページ:https://medicalpark-minatomirai.com/
Instagram:https://www.instagram.com/medicalpark.minatomirai/

菊地盤先生
X:https://x.com/kikuchiban
Instagram:https://www.instagram.com/iwaho_kikuchi/?hl=ja

取材日: 2025年7月18日